店長のお散歩日記 ◎国東半島の姉さんから~~~不断草 2025年06月24日 これです!これです! 不断草です。姉さんはちゃんと覚えていてくれて育ててくださいました。 母親がまだ鹿児島に居る時分は、野菜と言えば「不断草」でした。 現在は「ホウレンソウ」にその地位を譲ってはいますが、ちゃんと存在します。 今年の夏を乗り切る前に、この蒸し暑さに耐えなければ、夏は向かえられません。 まだまだ調子に乗れない、歯がゆい毎日です。
◎仙台駅 2021年01月06日 向田邦子さんのお父さんが仙台に 転勤になったが、向田さんは東京の祖母の家で 弟と暮らし、東京で通学していた。 夏休みと冬休みだけ仙台の両親の許へ 帰っていた。 当時東京は極度の食糧不足。 たまに帰省すると別天地のように 仙台は豊かであった。とエッセイ集 「父の詫び状」に載せられてる。 向田さんが東京と仙台を行き来したのは 「啼くな小鳩よ」いう歌が流行ってた頃だから 昭和22年、23年だ。 UPしてる仙台駅の写真は 昭和34年~50年頃と思われる。 東北新幹線の話が上がる前だ。 この写真を呉れたご本人がまだ 昭和の女学生の頃だろう。 自分が初めて仙台駅に降り立ったのは 2011年の晩秋。 駅弁を買い、東北新幹線に乗り込んだのは もう夕方だった。 青森まで向った。 車窓から見えるのは街の光りだけ。 それも2,30分のすると、ほとんど街の 光りが見えなくなってきた。 震災の影響か? 楽しみの駅弁の味も忘れる 夜行列車になった。 火ノ浦久雄 «前 次»