◎仙台駅

◎仙台駅
向田邦子さんのお父さんが仙台に

転勤になったが、向田さんは東京の祖母の家で

弟と暮らし、東京で通学していた。

夏休みと冬休みだけ仙台の両親の許へ

帰っていた。

当時東京は極度の食糧不足。

たまに帰省すると別天地のように

仙台は豊かであった。とエッセイ集

「父の詫び状」に載せられてる。

向田さんが東京と仙台を行き来したのは

「啼くな小鳩よ」いう歌が流行ってた頃だから

昭和22年、23年だ。

UPしてる仙台駅の写真は

昭和34年~50年頃と思われる。

東北新幹線の話が上がる前だ。

この写真を呉れたご本人がまだ

昭和の女学生の頃だろう。

自分が初めて仙台駅に降り立ったのは

2011年の晩秋。

駅弁を買い、東北新幹線に乗り込んだのは

もう夕方だった。

青森まで向った。

車窓から見えるのは街の光りだけ。

それも2,30分のすると、ほとんど街の

光りが見えなくなってきた。

震災の影響か?

楽しみの駅弁の味も忘れる

夜行列車になった。


火ノ浦久雄