店長のお散歩日記

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「変な川柳豆本」の栞紐は後178本必要です。とスタッフに言われ、術後、数珠玉との格闘を

始めることに。

術後、少し賢くなり、数珠玉の固い芯抜き作業のコツを見つけました。

熱湯に浸す作戦、、、当たりでした。


この数珠玉は3年物で、出水の山ガールが送ってくれたもの。


ちゃんと袋に入れgまで書いてくれてる。

5年物もあるのですが、流石に固くて。。。。手にあまります。

5年物は山ガールの旦那様が送ってくださいました、、、それも枝葉が付いたまま!!!

いい匂いがしました。


今日も15時頃夕立?が雷と共に激しくやってきました。

10数年前は普通に、毎日、やってくる夕立でした。

雷の落ちる音も。大粒も雨の勢いも新鮮でした。

雷の音、大好き爺様です。


「リンパ浮腫」の予防は毎晩してるのですが、足のおもだるさ が気になってます。

毎晩、両足には保湿クリームを塗りこんで軽くマッサージを。

坪郷さんのお店から2ヶ分のクリームを送ってもらいました。

癌保険金がある内に買っておかないと。。。。保険金は蟻地獄に。。。。(笑)

この週末、何所かに出かけて「リンパ浮腫」の程度を確かめてみたいと考えています。




豆本は、豆本を作ろうと思って出来たのではないのです。

私は、本は読むことより、本の作りが好きだったのです。

特に、上製本仕上げの「背中が丸背」の本が。

どうやって出来てるのは知りたくて、上製本仕上げの、手持ちの本をばらし、何冊も潰してました。

ハウツウ本を買って挑戦すれば楽に済む事なんですが、遠回りが好きな性格に生まれたようです。

少し時間に余裕が出来た50才台に、好きな上製本作りの準備を、と思い。。。。

しかし、いきなりB5判、A4判サイズの上製本は無茶な事だと悟り、先ずは手の平に乗るような小さな本を

作りました。我ながらビックリするほど良く出来ました。

3,5cm×4cm100頁の物を作りました。

これは売れる!!と。

大工をやめて海文舎を手伝ってくれてた親父に、ガレージの一部をベニヤ板で囲ってもらい、部屋を造り

そこに小さな台を置いて「布表紙の豆本」として並べたら、当時としては、珍し豆本は、飛ぶように売れました。

本体の糊付け作業が、手作業では捗らないので、製本機で大量に作りました。

ここに落とし穴がありました。

中の紙が取れてしまう!!大クレームを浴びました。

あれから10年、今でも、ご近所の方は、海文舎の豆本は信用されてません(涙。。。笑)

手作りあれ、製本機であれ、基本的に作り方が間違っていたのです。

和風の生地を表紙に。。。大人気でしたが、中身が抜け落ちては話しになりません。

紙を二つ折りして、重ねて糊をする事を知らなかったのです。

それから2年間豆本作りの空白期間がありました。

その期間はミニ5穴バインダー手帖をガレージ店に並べてながら豆本の事を考えていました。

その頃は私一人で、アフター5の時間で考えていました。

二つ折りた物を重ねて糊をすれば抜け落ちない事はわかったのですが、小さな豆本を柔軟に開いてくれる

柔軟な糊が見つからないのです。

話しが長くなってしまいます。。。河岡さんに長い!!!お前の足に合わせろ!!と言われそうです(笑)

ある年の年末、初めてのお客様が喪中の葉書を頼みにきました。

ふと何気なしに糊の話をしたら、箱作の会社に勤めてるその人が、今度持って来て上げると。

約束通り彼は持って来てくれました。

見た目、普通の糊じゃないか!と私は、そのまま使わずに地下にほったらかしにした何日か過ぎた有る日

その糊は固まっているのですが、引っ張ると千切れもせずガムの様に延びたのです!

これだ!!!この糊を本の背中に付けると、取れないし、本のノド奥まで柔軟に開く事が出来る!!

それから社員にも教え、また社員もそれぞれ自分のすきな分野の豆本を生み出してきました。


海文舎の豆本には全てこの糊を使ってます。

現在は海外の観光客様中心の豆本作りですが、大クレームをもらったご近所の方や学生さんも手にしたくなる

豆本作りをしなくては、と考えています。

本が好きになる様な、本作りに興味が持てるような「豆本」を。



長い間、お客様を気持ちよく出迎えてくれた「鉢植えの紫陽花」はわがやの日本庭園に植え替え

ました。

代りに、日本庭園いっぱいに咲いてる「芙蓉」を毎日、咲いてる間はお気に入りの三角フラスコに

飾っていきます。


ブロックの隙間の「浜木綿」、小さいながらも白い花を咲かせました。

まだ咲いてないのは1鉢だけです。


一日に何回も見に行く始末です。ノッポで倒れはしないかと心配です。

7月6日か7日に咲いてくれたら。。。恩返しができるのですが。。。

うーん~~微妙ですね。
今朝 スマホに”ありがとう”が入ってました。

こんな私でも 認められた様な うれしい気持ちになりました。


鹿児島から引越して間の無いころ、兄弟3人の遊び場所は、鹿児島の海に見立てた「愛知川」での

水遊びや石拾いでした。(そこは、借家から15分程の彦根方向の北に位置してました)

高校では、近江八幡から、安土→能登川→ほぼ稲枝まで「愛知川」を目指してロード練習をした場所です。

愛知川には、不法投棄物が、当時は多く、中にはトラックのタイヤも川のあちらこちらに捨てられていて、

それに紐を捜し、くくり付け、腰に引っ掛けて近江八幡の高校まで引きずり帰りました。

練習と言えば、練習の一環、通り過ぎる村人たちは苦笑してました。

八幡工業高校のグランドに、始めて大きな重たいタイヤを持ち込んだ生徒は私です。

愛知川にはもう60年近く入ったないです。

川沿いには、誰も手を付けない「グミ」の木が何本もありました。
今日で74歳になりました。

私の誕生日など、覚えてる人などもう誰一人居ないだろうと拗ねていたら

あら~~まぁ~~記憶のいい方が。。。3,4人も。

中には半世紀振りに。。。。??

そんな中、夕方、ガレージ店周辺の花を写していたら


おもろいカップルさんが。

飾り台の上に置いてるキャラクターの置き時計がほしい!!と。。。
(約30年前の時計です)

ノウ ノウ と私。

何処からと聞くと、アメリカのペンシルベニア出身で今は東京の大学に居ると。

何歳?と聞くと20歳。

そんなつもりはなかったのですが、私!今日で74歳!と言ってしまいました。

すると彼が近くの自動販売機でコーヒーを買ってプレゼントしてくれました。

思いがけないプレゼントでした。






忘れられない74歳の誕生日になりました。







これです!これです!

不断草です。姉さんはちゃんと覚えていてくれて育ててくださいました。

母親がまだ鹿児島に居る時分は、野菜と言えば「不断草」でした。

現在は「ホウレンソウ」にその地位を譲ってはいますが、ちゃんと存在します。



今年の夏を乗り切る前に、この蒸し暑さに耐えなければ、夏は向かえられません。

まだまだ調子に乗れない、歯がゆい毎日です。
今年も「浜木綿」が次々と白い大きな花を咲かせて、通る人達を楽しませています。

しかし、満開になって花が少し黒くなる頃に、無残ですが切り落としてやらないと来年咲かないかも知れません。

若い浜木綿は花を満開にして種(球根)を残す元気があるのですが、現在わがやにある浜木綿は、私と同じで

年寄り的な存在です。

球根は出来ない事はないですが。。。精一杯頑張っても小さな粒程の大きさにしかなりません。

以前、ある浜木綿が2度咲きして喜んでいたら、秋になったら根元から枯れてしまいました。

今日、ガレージ店を閉める際に浜木綿の花を切りました。

バケツに入れたら。。。外では分からなかった浜木綿の花の匂いが部屋中にひろがりました。



秋口までは次々と花を咲かせると思います。

咲き終わったら鉢の土を半分、新しいのと入れ替え、肥料もやろうと考えています。

土はいいのをやらないと、とんでもない事になる事も。
(オオヤマアイリスの土はいいです。少し高いですが)

以前 安い土を入れたら、それまで見たことも無い害虫がいて、浜木綿が全滅しかけました。

その時は、全部の浜木綿の根元まで切り落とし、害虫から逃れました。

鹿児島から若い元気な浜木綿を頼んでみようかな。
もう痛いのかゆいの、などと言ってる場合ではないぞ!と自分に言い聞かせてるのだが。。。

腰の痛さと、この暑さ!

昨年も言ったが、この夏乗り切れるかな?

まぁ外に出なければ何とかなるかも。

少し遅いのだが「七夕祭」柄で日記帖を手作りしようと、腰を屈めながら準備を始める。

布を入れた箱を戻しながら「七夕祭」柄の布を探した。

辛うじて1枚出てきた。

明日、本業を早く終え手作りしよう。


親友の個展を見て三条から四条へ。。。。七夕祭柄の布でも探そうと

歩き出しましたが、左足のふくらはぎに痙攣を感じ、やばい!

ここで倒れしゃがみこんだら通行人に救急車を呼ばれるはめに。。。

そこは、丁度、昔、竜馬が刺された店先。

後100m歩けば回転すし屋がある、そこで休憩しようと店に入りました。



左側に海外の女性、右側に50代のご婦人。

生ビールを美味しそうに。。。見てる間に中ジュッキで2杯。

つられて飲みそうになったが、飲んだら歩けない。

街歩きは疲れる。一人歩きの散歩とは全然違う。

もっと、毎日歩かねば寝たきりになる可能性大!

もう布地など探す元気も無くなった。

桜の香りのする線香を探し、買って帰りました。


夏椿。咲くのに合わせて来てる訳ではないのですが、何故か合ってる。


枇杷の木によじのぼって、思い切り枇杷を食べたい!

今日の土曜日は蒸し暑いですが、無人ガレージ売り場の周りは賑やかです。

この暑さではお客様の来店は見込めませんが、今日も無人ガレージ店開店です。


七夕祭の飾りもつけてみました。もっと大きいのがいいのですが。。。。


白い細い花を咲かせる「浜木綿」も満開です。


この浜木綿も蕾んできました。


「鬼ゆり」もぐんぐん背をのばしてます。


どんな風に、あんな風に咲くのか、観察が楽しみな「鬼ゆり」


「浜木綿」の鉢にちゃっかり共存してる小さな花、君の名は?


ポールにまきつく様に。。。。暑くないのかな?元気な浜木綿です。


「ムシャリンドー」も咲いてます。


今年の「芙蓉」の花は大きいように見えます。


今日は昼から親友の絵の個展を見に行きます。
暑いやろうな~~
私の手元に陸上競技の古いプログラムが7冊あります。

この先、私がいなくなったら何処かに消えてしまうかも知れないので

画像で残します。

能登川中学と滋賀県立八幡工業高校で陸上部の部長をしてました。

その為か古いプログラムが残っています。


この大会には100mに出場 D組で3着 12”4で予選敗退



昭和47年度の高校男子1500mの10傑と、この6月13日に京都で行われたIH近畿予選

女子1500mの決勝記録がほぼ同じ記録です。

近年、女子の中長距離の記録が目覚しくUPしてます。

その中でも近畿地区のレベルは断トツです。


この試合には100mで出場してます。12”7で7着予選敗退


100m予選3組に出場してます。何も書いてないので予選敗退でしょう。


このプログラムは全国高校IH予選滋賀県大会のプログラムです。
3部予選3組に100mで出場 記録を書いてないので予選敗退


駅伝のプログラムです。この大会には私はメンバー入りしてません。
翌年の大会で2区の3kを走りました。寒かった!!


高校3年の夏の大会です。3年で私は出場してません。

今年の全国高校IHは広島県で開催されます。

久保凛選手とドルリー選手の一騎打ちが楽しみです



今朝(6月20日)は11時に起きました。
朝 立ち上がれませんでした。
長男に起こされました。

明日は親友の個展が京都三条神宮道であります。
最終日です。
中学の陸上仲間でもありますので少しは話が繋がります。
3年前、彼の個展に行き「万葉の森」の存在を知ることになりました。
その時、53年振りに「近江鉄道」に乗りました。

おしめして、腰バンドをしっかり締め、真っ直ぐ歩くように注意します。


休耕田に植えられた「紫陽花」です。

国東半島の姉さんからのライン画像です。

嗚呼!!また国東半島の大分空港に行って瀬戸内海の海を見たい!!

もう?!無理かな!?

2011年の7月か8月でした。

坪郷さんの「歌の日曜散歩・公開生放送」を追っかけて大分まで行きました。

空港のレストランで「だごじゅる」を食べたい!

母親がよく作ってくれた「だごじゅる」

自分で一度試してみるのもいいかも!

是非やってみよう!
おしっこのだだ漏れはかなり解消に向かってます。

しかし、立ち上げる瞬間や、振り向いた瞬間に

ぴゅーピューとおしっこが飛び出し、まだまだおしめは卒業出来そうにありません。

そんな中、癌保険が。。。雀の涙程の!??家内の通帳に振り込まれたようです。

ここに振り込まれたら、もう地獄!蟻地獄です。

這い出す事も、救いだす事も不可能です。

何とか家内を説得して

仕事場で使うキャスター付きの椅子を頼みました。

もう立ってるのが辛いのです。

椅子に座って印刷を見るためです。

もう一つ、散歩用の靴を頼みました。

手を使わずに履ける靴です。

以前 色々言いましたが、手を使わない靴いいですよ。

靴底も分厚く、指先周りは丸く広く爪が痛くなりません。

固いかかとでガッシとつかまえてくれるので足が安定します。

年寄りにはもってこい!の靴です。

3,300円~~からあります。

私のは3,380円です。

明日も暑くなりそうです。

無人ガレージ店には立ち寄る、海外の観光客もこの暑さでは。。。

きゅーりが大きくなってきました。


うどんこ病がまだ治ってません。
今日、薬を掛けました。
夕方まだお日様は照っていましたが腰バンドして

今日は伏見稲荷大社へ。


栴檀の木は青々と茂っています。見てると元気になります。


お稲荷さんには数匹の猫ちゃんが暮らしてます。




7時過ぎに戻りました。汗びっしょりでした。
5時前に雨が止んだ。

何日か振りの琵琶湖疏水散歩。


遠くの比叡山の上はには青空が。


桜猫は餌の時間を待ってる。

枇杷が柔らかい黄色に色ずいて、食べてくれ!と。


お日様で少し温まって美味しかった!鹿児島のあの枇杷の味に少し近くなった。

スーパーイオンで買い物。100円屋で買い物。


小銭入れが破れてきたので100円屋でドラえもん柄を見つけた。

腰にはベルトを巻いての散歩だが、よれよれだ。

この調子では3年以上は覚悟しなければならないかも。



雨は降ったり止んだり。


「浜木綿」蕾が弾けたものも。
昨日夕方、小雨の中「ドクダミ草」の白い花が萎んできたので抜き取る。
義母が「ドクダミ草」を乾燥させ、煎じ、よく持って来てくれた。




「芙蓉」が咲き始めた。



露草もぼちぼち。


近畿大会IH予選京都・たけびしすたじあむに「久保凛」選手の800m決勝を

見に行くつもりだったが、腰が言うう事をきかない。

天気も悪いし1分台の記録は望めないだろう?

YOUTUBEで観よう。
前立腺癌・術後2ヶ月足らずのこの5月6月は

もう年老いた私には想像以上の日々でした。

全ての仕事が1日たりとも動かせないものばかりでした。

昨日は近畿IHのプログラムの様子と久保選手を見に行き、やっとの思いで

家路に着きました。

16時~18時過ぎまで寝てしまいました。

今日は15時から17時過ぎまで寝てしまいました。


「電話が鳴った!」
「208頁の2番目の。。。。。」
「すみません!聞き取りにくいです」
「208頁の2番目の。。。。。」
「すみません!もっと大きな声で!」どなってる自分がいた。
声を荒げながらプログラムを開き、右手に受話器姿で立ってると、誰かが!?
「何処かで会ったかな?」
何も言わない。
受話器を持ったまま部屋を見ると大きな、直径1mちかい鉢が。
いいに匂いがした。微かに鼻をくすぐる香。
誰かが「沙羅の木」やで。
そんな場合ではないと、また受話器に叫んだ!
受話器の奥で「。。。さんに代わってくだい!!」


その夢の場面で目が覚めた!今日の今の30分前。

第3弾は6月4日の22時頃から翌朝5日の3時過ぎまで段取りを組みました。

数時間後、印刷場に入ったがもう立っていられなかった。

長男と三男に任せ、私は耳の奥まで綿を詰め込んで音を遮ったが、立っていられない。

指揮棒を振りながら、地下でうずくまり、印刷部屋の隅でうずくまりを

繰り返して繰り返して。。。。

誰かに電話して声が聞きたかったが。。。

店長日記に書いたら1%楽になった。

ここで救急車を呼べば第3弾は間に合わない!海文舎も潰れる!

ハードな5月6月だった。

納期に時間が有れば、仲間に助けて貰う事も出来たのだが1寸たりとも

動かせる状態の仕事ではなかった。

順調に行けば2030年6月に第3弾の近畿大会プロが来るはず。

もうその時、私は79歳。

店長日記に助けられたり。。。とても会社のトップの書く事ではないと。。。

消したり、出したり。。。

観てくださる数人の方は、あぁ~~またやってると笑ってることでしょう。

50代終わりの手術と、70代初めの手術とでは大違いです。

残りの2025年は年末までのんびり養生します。火ノ浦久雄


鬼ゆり が少し色を見せはじめました。