店長のお散歩日記
◎あなたは何者!?~3~◎美輪明宏との思い出~南部さん便り

火ノ浦 久雄様
猛暑日が続きます。体調は如何でしょうか?
さて、今日は6月に91歳で亡くなった美輪明宏と函館で出会った時の
エピソードを紹介します。
私の郷里は函館で、昭和30年代に父は松風町でビアホール
「浅草スタンド」と喫茶「南園」を経営しておりました。
ビアホールでは、函館で唯一浅草神谷バーの電気ブランを取り扱って
いたお店です。そんな環境で育ったので、歯痛の時は、綿に洋酒の
ジンを浸して歯痛対策をしていた事を覚えています。当時は、北洋
漁業の出稼ぎの人々(ヤン衆)が夜中まで賑わいをみせ、活気ある
環境でした。
お店は浅草小路を入って3件目にありましたが、4件目に大衆食堂の
「奴食堂」があり、奴食堂の息子とは同年の幼なじみで、その彼から
「変なやつが店にきている」と声がかかり、出会ったのが美輪明宏でし
た。当時は美輪ではなく、丸山明宏で、函館のキャバレーに出稼ぎに
きていたと思われます。奴食堂での丸山明宏の食事は「一個のおでん」と
ご飯を注文し、おでんのつゆをご飯にかけ食べていました。売れない
頃の質素な食事です。この幼い頃の記憶が何故か78歳になった私に刻ま
れていて、本人に会う機会があったら函館の奴食堂の事を話してみたい
と常々思っていましたが、残念ながらかないませんでした。
ここ3年前から、親戚の法事や墓参り等で函館に帰る機会があって、
奴食堂の幼なじみと、この思い出話しが必ずでできます。
昔の懐かしい記憶も歳を重ねてくると、なおさら鮮明に蘇ってくる
と実感しているこの頃です。今年も10月には帰函する予定です。
最後に石川啄木の私の好き句を紹介します。
「函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」
追伸
昭和30年代の浅草小路周辺のお店の街頭案内板の画像を添付します。










