◎1970年・太陽の塔万博にクレイム投稿

卒業と言う形で、滋賀県立八幡工業高校・機械科から追い出され「豊田自動織機」に辛うじて拾われた年に

初めてのお盆帰りで京都山科の実家に帰りました。

親父も母親も皆元気一杯の年代でした。

どうやって?車で?電車で?万博会場に行ったのか!全く記憶がありません。

なにしろ人!人!人!右も左も横も前も人人。

まるで人間ジャングル。

何を見たか、全く記憶の欠片や糸クズさえありません。

覚えてるのは無料のパンフレットを、持てるだけ持って帰ったことです。

お盆が終わり、そのパンフレットを会社の寮に持ち帰り、辞書をたよりに、本当に日本語訳が正しいか。。。。

工業高校の英語教育なんぞで。。。生意気にも。。。知ったふりをして。。。

これは違う!!これも違う!!

万博事務所宛に手紙を送り突けました。

日本郵政は世界のどの国に比べても、正確に届く!と有名で、私の親書も確実に事務局にポストインされてる筈。

しかし、優秀な事務官は、封も切らずに、ユリゲラー様のように、中身が読めるのか、机の横に有るドラム缶の餌に。

あほなことばかりやってた、あの頃です。


今回の万博には。。。。開催中におしめが取れたら。。。

しかし、もう紙のパンフレットなど無いでしょうね。

全てQRコードで。。。

スマホが使いこなせないと入場は無理かもしれません。

世界の手作りを見てみたいです。





拾いものです