◎記憶と記録として

今日、土曜日は三男と仕事でした。

第3弾の約50頁分を刷り上げました、と言っても、私は指示と軽めの手伝い。

1時間に8頁しか刷れない冊数の多い第3弾。

まだ4分の1です。



もう時効ですので言います(爺さんの記憶では以前にも店長日記に書いてます)

この近畿の大会に、私も一度だけ出場した事があります。

今年は第78回大会です。私は第22回大会に滋賀県大会でぎりぎり6位で勝ち残り、西京極陸上競技場で走りました。

それを知ってる者は私を含め4人です。しかし、語り合える者は一人もいません。

当時の西京極陸上競技場は、桜の木で周囲を囲まれ綺麗でしたが、その大会は6月で毛虫がいっぱいでした。



私は第1走者で、ホームストレッチのゴール側のコーナーに足ブロックを打ちつけスタートしましたが、

ここでも私の方向音痴が遺憾なく発揮され!?。。。。滋賀の皇子山陸上競技場や彦根陸上競技場では、その位置は

200mのスタート位置になるのです、ですから200mのスタート位置から400mを走る!??方向音痴になり

何が何だか分からないままスタートしました。

アウトストレッチの直線では大きく引き離され。。。。先を走る同志社高校の選手の後ろ姿を、今でも覚えています。

そんな自分がこのプログラム製作に携わるとは夢にも思いませんでした。

8年前に(5年周期がコロナの関係で遅れて)この近畿のプログラム製作を経験しいます。

50代で京都での全国高校インターハイ(2周目の1番が京都)のプログラム製作を経験してます。

まだまだ若かったのでイケイケドンドンで記憶にありませんが、中学の同級会と重なった事は記憶に。

でも、毎回、いつ紙のプログラムが無くなるかもと、不安を抱えてる事は確かです。

たまに西京極陸上競技場(たけびし陸上競技場)にどんな風に選手がプログラムを扱ってるか見に行きます。

1日限りの大会のプログラムは心配しませんが、2日3日と使う物には気を使います。

今回の第3弾は6月12~15日の4日間。しっかり製本しなければなりません。

1日だけでも、腰ベルトして。。。。おむつしててでも見に行きます!!

しかし、語り合える仲間が居ないのが寂しいです。