店長のお散歩日記

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千葉県の豪雨災害のお見舞いを戴き有り難うございます。住まいの習志野市は大
丈夫でしたが、ちょうど豪雨の時間に車を運転していました。船橋に向かってい
ていつもの近道は通行止めで、安全のためと幹線通りまで戻って運転。
それでも冠水箇所が多数で、通常40分で済むところ2時間かかって何とか帰宅する
事ができました。今回の豪雨災害の異常さと命を失った方々の状況のTVニュース
で見れば見るほど無事に帰ることができて本当に良かった思っております。今日
のニュースでも水没した車のレッカー移動がまだまだあるようで、このような豪
雨の時は絶対車の乗らない事を教訓にしたいと思っています。
さて、お願いした注文の品、出来上がった旨の連絡、早速の製作、本当に有り
難うございます。届くのを楽しみにしております。海文舎様の迅速なお心遣いに
改めて感謝申し上げます。

 最近ブログにおいて、「あなたは何者~南部様」がシリーズ化しているようで
すが、今回も第4弾をお届けします。

 3人との不思議な出会いについて
はじめに2001年12月に Bunkamuraシアターコクーンで 蜷川幸雄の演出の「四谷
怪談」(出演:竹中直人、広末涼子、高嶋政伸、藤 真利子)を観劇した時の出来
事を紹介します。休憩時間にロビーにいたら、私を見つめる視線を感じました。
その女性は7日に93歳で亡くなれた岸 惠子さんでした。岸 惠子さんはその時誰か
と歓談していたのですが、ずっと見つめられていたのです。
私が、岸 惠子さんと目を合わせると、しばらく彼女の視線が続きました。
 岸 惠子さんの美しさを感じ取った次第です。何故、視線を私に向けたのは理由
は分かりませんが、私の思い違いではない視線を思い出します。
 2人目は、俳優の殿山 泰司さんです。都内で歩いていた時、すれ違う前に立ち
止まってじっと私を見つめて何か言いたげな仕草をしたのです。私に何か言う前
に、やめてすれ違って行ったのです。
3人目は、高校時代の出来事です。函館でビアホールを営んで父の所に、市内の
皮膚科のH院長さんが飲みにきてました。愛想が良く、優しい先生で、開業時に患
者さんがあまり来なく、悩んでいた時に父は「3年間は我慢して続ける事が大切」
とアドバイス した事があると父から聞いた事があります。それだけ中が良かった
間柄でした。その先生のご子息は私が通学していた函館ラサール高校の同期でそ
のな事もあってか、自宅に食事に招待された事があります。
その時に先生の奥様に初めて出会った時の出来事です。奥様は私を見て、びっ
くりされて「知っている方とそっくり」とおっしゃたのです。その方は先の戦争
で戦死されたそうです。偶然であるがしても、そんな事を言われ事に私自身驚い
た次第です。
以上3人との不思議な出会いです。


目標は先ず200冊

名前は決めましたが、値段はまだ。

英文のサンプルもまだ。

無人ガレージ店を、長男ガ倍の大きさにしてくれてるので、かなり、あちらこちらに飾れる。

「書く・描く」文化に繋がればいいのだが、その前に、売れる??


布表紙です。 紙は「マーメイド白160k」



裏面は友禅和紙です、









上の二つの画像はyamatoのブログ様からお借りしました。



私が書いたサンプル画像です、




少し買って。。 長~~く買って。。。

・残暑見舞いに等に⇔アコーディオンミニ折り本で。

・1面の大きさが
(約32㎜×50㎜ 表面8面 裏面7面)
・用紙「マメーイド白160k」インク抜けしません
・重さは約7g 定型の封筒に入れても約15gまで
・厚みは約7㎜

・豆本の作り方は海文舎のHPでご覧ください
・京都・海文舎の無人ガレージ店でもお買い求めできます
・いい出会いがありますように




少し買って。。 長~~く買って。。。

・残暑見舞い等に⇔アコーディオンミニ折り本
・1面の大きさが
(約32㎜×50㎜ 表面8面 裏面7面)
・用紙「ミランダスノーホワイト170k」インク抜けしません。
・重さは約7g 定型の封筒に入れても約15gまで。
・厚みは約7㎜

・豆本の作り方は海文舎のHPでご覧ください
・京都・海文舎の無人ガレージ店でもお買い求めできます
・いい出会いがありますように













少し買って。。 長~~く買って。。。

・残暑見舞いに等に⇔アコーディオンミニ折り本
・1面の大きさが
(約32㎜×50㎜ 表面8面 裏面7面)
・用紙「マメーイド白160k」インク抜けしません。
・重さは約7g 定型の封筒に入れても約15gまで。
・厚みは約7㎜

・送料はクリックポスト便で185円

・豆本の作り方は海文舎のHPでご覧ください
・京都・海文舎の無人ガレージ店でもお買い求めできます
・いい出会いがありますように
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~~今日12日から夏休みにして、琵琶湖で平泳ぎの練習してる、暇はありません(笑)~~
お盆明けから開催される、ユースのプログラム制作をしなくてはなりません。

お盆興行は毎年の恒例です。
夏風が秋を迎える準備を??いやいや、まだまだ油断できません。

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アコーヂィオンミニ折り本で、お友達へ便りをしてみたい方
9月には海文舎の無人ガレージ店に並べます。

また、お手持ちの布地でオリジナル折り本をご希望の方、海文舎へご連絡ください。
出来ればFAXで。




火ノ浦 久雄様

猛暑日が続きます。体調は如何でしょうか?
さて、今日は6月に91歳で亡くなった美輪明宏と函館で出会った時の
エピソードを紹介します。
私の郷里は函館で、昭和30年代に父は松風町でビアホール
「浅草スタンド」と喫茶「南園」を経営しておりました。
ビアホールでは、函館で唯一浅草神谷バーの電気ブランを取り扱って
いたお店です。そんな環境で育ったので、歯痛の時は、綿に洋酒の
ジンを浸して歯痛対策をしていた事を覚えています。当時は、北洋
漁業の出稼ぎの人々(ヤン衆)が夜中まで賑わいをみせ、活気ある
環境でした。
お店は浅草小路を入って3件目にありましたが、4件目に大衆食堂の
「奴食堂」があり、奴食堂の息子とは同年の幼なじみで、その彼から
「変なやつが店にきている」と声がかかり、出会ったのが美輪明宏でし
た。当時は美輪ではなく、丸山明宏で、函館のキャバレーに出稼ぎに
きていたと思われます。奴食堂での丸山明宏の食事は「一個のおでん」と
ご飯を注文し、おでんのつゆをご飯にかけ食べていました。売れない
頃の質素な食事です。この幼い頃の記憶が何故か78歳になった私に刻ま
れていて、本人に会う機会があったら函館の奴食堂の事を話してみたい
と常々思っていましたが、残念ながらかないませんでした。
 ここ3年前から、親戚の法事や墓参り等で函館に帰る機会があって、
奴食堂の幼なじみと、この思い出話しが必ずでできます。
 昔の懐かしい記憶も歳を重ねてくると、なおさら鮮明に蘇ってくる
と実感しているこの頃です。今年も10月には帰函する予定です。
最後に石川啄木の私の好き句を紹介します。

 「函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」

追伸
昭和30年代の浅草小路周辺のお店の街頭案内板の画像を添付します。



(西和賀・NISHI WAGAA のパンフレットより抜粋)

この方に出会って「カタクリ」を知ることになりました。

近江の「万葉の森」にも植えてあるのですが、あんなに日当たりが強くては。。。

お上さんとは四季に一度お便りなどしてます。

今日は「西和賀蕎麦」も。

そして涼しいお便りも添えてありました。

行って見たい所がいっぱいです。






そう言えば

この数年、海を見た記憶が無い!

琵琶湖は昨年10月に、河岡さんとへんな川柳作家・茉莉亜まり さん の手作り市に参加した際に

広い広い近江の空の下の青い湖を見た。

海は広島の河岡さんの案内で鞆の浦の海が最後だ。

tuotubeで音楽を聴いていたら、バス停が写り込んでいた。

拡大して見ると 東土堂町 だった。海も写り込んでた。

行って見たいが。。。。しかし、この足では。。。短い?
岡山県の「へんな川柳作家⇔茉莉亜まり」さんから、地元岡山の桃をいただきました。

私は、桃太郎の家来の猿になり、早速、桃を丸かじりしました。

果物は皮のまま丸かじりに限ります!!

皮と実の間のあのシャキシャキがいいのです。



いい(~o~)色してますでしょう!!

ガレージ店は開店休業状態です。

誰一人道を歩く人はいないのです。


へんな川柳作家⇔茉莉亜まり さんのコーナーです。

特等席です。

秋までの辛抱と声掛け合って、京都のバカ夏に耐えています。
昨夕、雨が降った!!

家族と大喜び。

花木に水を撒かずにすむ。

しかし、その反動か?

今朝の蒸し暑さは堪らない。

19歳、20歳の時経験した、愛知県大府市の蒸し暑さには、及ばない!

その時の体重の46㌔が証明している。

ズボンの腰周りが70cm。

ちょっとしたJK並だ(笑)
今日は癌検診日。

数値が下がりやれやれ。

次は10月。

担当医が代わり、やり易くなった(検査好きではなさそうだ)

このまま健康を維持して80歳まで逃げ切りたい!
反応が少ないので、無性に腹が立ち、今朝は朝6時過ぎにガレージ店を開店しました。

(撮影は10時頃です)

天井のコンクリートを薄緑色に塗ってくれました。

天井の白発泡スチロールも全部剥がし、ベニア板を張ってくれました。 (2cm程の厚みの発泡スチローロルには釘も打てず苦労してました)

現在の売り場を、奥に約1m程広げる作業を半年前から考えていた長男。 最初は反対しましたが、辰年生まれの彼の性格を良く知っいたので、言い争いは無駄と考えOKを。 ただし、出来るだけ質素に。 工事費は自分持ち。会社からは以1円も出せない。 この2つの条件をのんでもらい賛成しました。 今年1月に亡くなった親父顔負けの仕上がりを続けています。 奥の判部が完成すれば、現在の壁板を取り外すようです。 もう、軽印刷だけでは喰えない時代です。 仲間も次々と廃業に追い込まれる、と耳に入ってきてます。 何とか、この馬鹿げた夏を乗り切り、秋の京都に期待してます。