店長のお散歩日記

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#北海道のアスパラガス#
高校を卒業して

愛知県刈谷市の

豊田自動織機に就職した時

初めて寮生活をした。

狭い2人部屋だった。

同僚は北海道の美唄から

来た宮崎君だった。

北海道は東北よりも北にあるから

言葉も聞き分けないくらい

訛りがあるのではと勝手に

思い込んでいた。

北海道は標準語だった。

それも優しい言葉使いの

標準語だった。

標準語でないとしたら

語尾に”しょ”が付く事ぐらいかも

しれない。

旭川から贈れてきた

アスパラガスで49年前を

思い出した。

火之浦久雄
”黄色いユリ”
息子が量販店で4月に

買ってきて鉢植えした

ユリの花が咲いた。

冷凍されてたのだろうか?

ものすごい勢いで成長して

花を咲かせた。

球根の袋には”白い”花が

咲くように表現してあったと。

息子、家内が言ってる。

どちらでもいい。

きれいに咲いてくれている。

火之浦久雄
◎のこった!のこった!!700kg
夕方に帳合いを息子が終えた。

明日から表紙巻き作業に入る。

しかし 気が気ではない。

何しろ 二つの作業台の上で

お相撲さん5人程上がり

四股を踏んでる状態だ。

日時の入った仕事は

1分、1秒でも早く終わらせたい。

火之浦久雄
◎今日はここまで
今日はここまで。

息子が、どうにか

前半の帳合いまで

辿りつき多少先が見えてきた。

昨日と違い今日はそれほど

気温が上がらずに

助かった。


火之浦久雄
万葉集絵歌留多の「花橘」
風にちるも
花橘を袖にうけて
君がみためと
おもひつるかも

第十巻 1966 読人不知

花橘が風にむざむざ散る。
せめて、この花を
袖にうけて、君のお目にかけよう。
---太田水穂---評釈


今日は夕方から
薬を求めて歩き出した。
最初の店には無く
2軒目まで歩く破目に。
1時間半程よたよたと歩いた。
途中で救急車を呼ぼうかと
思うほどしんどかった(大笑い)

火之浦久雄
◎紙出(端紙・残り紙)で、黒猫柄の卓上メモ
用紙を規格外で

紙屋さんに注文すると

細長い紙出が出てしまう。

云わば本線に乗れなかった

紙たちだ。

彼や彼女たちに活躍の場を

与えようと考えた。

卓上メモにした。

100枚を天のりして

表紙に黒猫の布地を張った。

手の込んだ豆本とは違い

簡単に出来る。

しかし、この時代 紙にメモする人

居るのかな?


火之浦久雄

◎ 万葉集絵歌留多の”栴檀の花”
妹が見し
楝(おうち)の花は
散りねべし
わが泣く涙
いまだひなくに

五巻 798  山上憶良
取り札の絵は 「安田靭彦画伯」


妻が見た栴檀の花は
もう散るだろうな
亡くなった妻を思い出して
泣く私の涙はまだまだ
乾くことはない

栴檀の薄紫の花が咲く
季節がきました。
川の石垣の上から
鹿児島の麦畑を見渡すように
栴檀の花が咲いていました。

近江鉄道の平田駅をおりて
友人の家に向かった川縁の
栴檀の木はまだ咲いていませんでした。

京都伏見では未だにまだ
目にしてません。
稲荷山で咲いてるかな?


火之浦久雄
♪私が生まれて育った処は。。。。♪
海まで数十メ-トル。

もう生家はありませんが

海はそのままです。


火之浦久雄

誰かが云ってた!
人生もうころがり坂!!
仕方ないです。
人間だから。
♪私が生まれて育った処は どこにもあるような♪
海辺の小さな村♪


小学校の同級生、清治君の

訃報と一緒に 幼馴染の多美から

村の写真が送られてきた。

同級生の中では どちらかと云えば

清治の家は分限者だったかもしれない。

彼の家は、今で言う、ラジオの放送局?

のような事をしてた。

田尻のラジオ屋で知られていた。

有線ラジオの発信基地だった。

島のどのエリアまでカバ-してたか

今となっては知ることも、聞く事も

出来ない。

小学校3年生の冬の学芸会で

清治は主役の、爺さんに抜擢された。

私はその他の猿だった。

何故かしら子供心に悔しかった。


35人程の、鹿児島の同級生が

私が知る限り7名亡くなった。

多美が島に行きお墓参りを

してくれている。

火之浦久雄

村の高台から望む
黒之瀬戸海峡
手前の赤土はジャガイモ畑
海の向こう側は鹿児島本土