台風6号・昭和34年8月(1959年)

鹿児島で住んでた頃、昭和34年8月の台風は6号は今でもはっきりと憶えてる。
藁葺の家を守るように、蜜柑や、ボンタン、梨の木が庭に所狭しと、裏には竹やぶと椿の
木が混ぜこぜに植えられていた。

台風6号は夜襲ってきた。家の真ん中に家族5人固まり座っていたが、雨漏りが次々と部屋
を占領していった。

藁葺の家はぎしぎしと揺れだした。親父は立ち上がり、決意した。爺さんの家に逃げるとと。
曾爺さんの家は井戸を挟んで直ぐ隣にあった。小さな、二人暮らしの家だったが、台風に
備えて、家の四隅はワイイヤ-で引っ張られ飛ばされないように頑丈にしてあった。

親父を先頭に家族5人手を結び、僅かな距離を必死に歩いた。
足がごろっと何かを踏んづけた。 梨 だ。手の届くのは既に食べ尽くしていた。
手の届かなかった梨がごろごろ。こんなにまだあったのかと。しかし 拾う事はなかった

次の朝 目の前の海に行くと、白い太鼓の様な物が浮いている。
潮水でぱんぱんになった犬だ。口から白い泡をふいた猫の死骸もあった。
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まだ台風14号は日本列島を走り続けています。
この台風で被災された皆様にお見舞い申しあげます。 火ノ浦久雄